秘剣「寸のび」

 

 

 小伝馬町に構えられた佐々木一角の道場で

は、今日も賑やかな打ち合いの音が、武者窓

から外にあふれ出ていた。

 一角は、他流試合を拒まない。流派という

ものも掲げていない。入門者も、武士ばかり

ではないから、弟子の身形も揃っていない。

何故に他流試合を拒まないかというのも、腕

に絶対の自信を持っているからというわけで

はない。仮に、試合に負けて看板を外された

としても、一向に痛痒を感じる風には見えな

い。で、弱いのかというと、それが中々強く

て今までに殆ど負けたことがない。拘らない

伸びやかさを持っているということらしい。

 隼人は、ぶらりと佐々木道場を訪ねること

がある。そこで竹刀を持つことはなく、門人

の稽古を眺めたり、一角と僅かに言葉を交わ

すくらいのことであるが、楽しいのである。

 ある日、珍しく「頼もう!」と旅の武士が

一手の稽古を申し込んで来た。太平に慣れた

時代には、久しくなかったことである。

 手順に従って先ず門弟が相手をしたが、苦

も無く5人ほどが打ち負かされ、師範格の一

之瀬が相手をすることになった。

 佐倉何某と名乗る武士は、そこで初めて慎

重に間合いを取って対峙した。道場主の一角

は、まるで試合の帰趨など意に介してもいな

いように見える。佐倉何某は、見切りの名人

と見てとれたが、ただそれだけのこと。弟子

の一之瀬に任せて座り直しすらしなかった。

 佐倉は、間合いを詰めることができない。

詰めるどころか尺余も引いた。汗が滴り落ち

る。微動だにしない一之瀬の竹刀先が頭上に

のしかかってくるように思えて我慢の限界を

超えた。状況の打開をはかるに何らかの手段

も思い浮かばなかったが、身を捨ててこそと

ばかりに一気に間合いを詰めて打ち込んだ。

凄まじい速さでの一撃といえた。

 しかるに届かなかったのである。そればか

りか、後から動いた一之瀬の緩やかに見える

竹刀の動きを躱しも受けもできず、面を強か

に打たれていたのである。

 一之瀬の動きは見きれていたと、佐倉は思

った。剣の速さでは負けていない。

「参った。」と言えばよいものを、真剣なれば

決して負けはしないと、引き時を誤った。

 我の強さは、自らを省みる余裕をなくすの

が常である。

 「真剣にて今一手!」と、思わず叫んでし

まった。

 「やめておかれよ。」と佐々木が声をかけた

が、穏便にことを納めようとすること即ち一

之瀬の負けを見越しての言葉のように思え、

佐倉は言を曲げなかった。

 場所を城下の柏原に移し、真剣での試合が

なされることになり、行きがかり上隼人が見

届け人として立ち会うことになった。

 佐倉は、寸毫の見切りに絶対的自信をもっ

ていた。剣の速さは道場での立会で、自分が

勝っているとの判断がある。負ける気づかい

はまったくない。

 自分の間合いを作りさえすればよい。

 一礼して抜き合わせると、そうした。

 しかし、瞬きをする間もなく、一之瀬の切

っ先は佐倉の首元に伸び、寸止めされた。

 「そこまで!」隼人が声をかけた。

 ゆっくりと伸びてくる剣先を確実に目に捉

えていたにもかかわらず、佐倉は身動きもで

きなかたことに、呆然と立ち尽くしていた。
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